栄養週期栽培と「沈黙の春」
= 農薬の多用を憂える =


 栄養週期栽培は、ことさら環境保全型農業を打ち出しているわけではありません。肥料は化学肥料を使いますし農薬も必要に応じて使います。しかし、作物の健全な発育を目指しており、「作物の健康」という視点をもっています。健康な作物の発育を期待するには、肥料は多すぎてはいけません。特に窒素肥料は、多いと脆弱な発育をもたらします。そのような視点から、栄養週期栽培では、多肥料、多農薬による近代的な農法を批判してきました。
  ここで、興味深い論考をご紹介します。
  それは、当日本巨峰会創設の中心人物である恒屋棟介が記したものです。1957年5月16日の朝日新聞朝刊の「論壇」に「愛鳥運動で-忘れられているもの」という表題で掲載された論考です。そこでは当時深刻な問題となりつつあった農薬の問題をとりあげていました。
  それを抜粋、一部修正の上、以下に掲げます。

愛鳥運動で-忘れられているもの


  青葉、若葉のころとなると山野も近郊の木立も野鳥の営巣でにぎにぎしい。人々はこうした山野の平和と光を求めて林をぬい、野をかけめぐる。一つの美わしい情景である。しかし、この平和の象徴といってもよい野鳥たちの活動はただ人々に直接的なよろこびをもたらすというだけではなく、彼らの必然的な種族維持と、それを通して自然に平衡をたもとうとする永続的ないとなみである。もし、地上においてこうした麗しい自然の平衡が破れて、今おそいかかっているような物量主義的なもののみが世界をおおうようになったとしら、人間の生活は何とひからびたものであろうか。
 小さな少年たちが学校の庭や裏山や、そして村々の木に巣箱をかぎり、野鳥を保護しようとする小科学者らしい、そして自然の平衡をまもろうとする行為は美しいかぎりであるが、これに比べて、大人たちの多くはこうしたことにはほとんと無関心といってよい。
  1934年ごろ、ドイツで毒ガス研究の副産物として有機リン酸-パラチオン、ポリドールなどが発見された。その毒性の猛烈さはすでに知られている。ところがイネの茎に寄生するメイ虫の幼虫に対して、かねて手をやいていた農林省はアメリカの手をへてこの薬を取りいれ、水田その他に使いはじめた。極めて重大な人畜や益鳥、益虫に及ぼす害毒を忘れてすっかりホレ込んだわけである。しかし、その直後1953年には中毒、死者が497人、さらに1954年には483人という驚くべき数字を出した(注、自殺者をふくむ)。それに加えて野鳥、益虫の死もおびただしく、中国地区で開かれた猟政協議会(1954年)の席上で、山口、岡山地方では有機リン剤の使用によってツパメ、タカなどの益鳥が30~35%も減少し、さらにクモ、トンポなどの益虫もひどく激減するに至っていることが伝えられた。まさしくこれこそ自然破壊である。ところで、農林当局は人畜に及ぼす被害の大きさに驚いて薬剤散布の規定を通達したが、これは世論をさけようとしたもので、野鳥と益虫の保護について考慮されたものではない。また、野鳥保護の立場にある林野庁は農林省振興局に、人命保護の立場にある厚生省は農林省に、それぞれ親類づきあいのせいか、気がねして強く発言しようともしない。
  なるほどこれらの有機リン剤が、作物の体内に寄生するメイ虫の幼虫、その他の害虫を一時的に駆除することは認められる。しかし、それが決定的なただ一つの防除対策ではない。他の合理的手段を理解しない人たちの最も劣悪な対策にすぎない。したがって、最近、イネの出穂後に発生するメイ虫の比率が高まり、手をあげかけている地方も少なくない。これはコン虫も生物なのであるから自己防衛のために人間が毒剤を散布しにくい時期、つまり出穂後に再び集中的に発生するということと、メイ虫自体がようやく薬剤への抵抗性をつくって来たということで理解されよう。最近世界の進んだ国々では、これらのことを予見し、野鳥はいうまでもなく、人類、家畜、そして多くの益虫の死さえ余儀なくする有機リン剤の薬剤を禁止し、人命を導重するばかりでなく、害虫の防除対策として天敵の研究に重点をおくにいたっていることは、日本においても、もっと真剣に考えられてよい。
  もともと、メイ虫その他の害虫さらに病菌の発生は作物の発育のヒズミ(歪曲)にもとづくことが多い。現在指導されている生産手段は、日本のおかれている災害の多い気象条件あるいは経済的に豊かでない小農的な経営条件を無視して多肥、多薬、多労という高い生産コストに迎合している。いろいろな災害にたたかれるように作物を育てておいて、病害だ、虫害だ、災害だとさわいでいるのが現状である。こうして農民の苦悩は植物のヒズミとともにいつまでも絶えない。メイ虫の発生にしても多肥によるイネの発育のヒズミなのである。このヒズミを改善する方法が注目を浴びるようになった時、作物のよりよい発育と人間社会のより正しい発展を呼びおこすことに貢献するものと考えている。
  鳥を愛することはまさしく美しい。しかし愛鳥を口にする人たちが一体どれだけこの恐るべき野鳥殺リク(戮)の問題に関心をよせているだろうか。私は愛鳥週間がくるたびに悲しみにたえない。ここに一連の問題を提起して識者に訴えたいと思う。


  このように、農薬による自然の破壊を批判し、世間に知らしめようとしています。
  野鳥、農薬、環境問題といえば、レイチェル・カーソン氏の「沈黙の春」(サイレント・スプリング)を思い浮かべる方も多いと思います。「沈黙の春」は、環境問題を論じる上で重要な一冊で、鳥たちが鳴かなくなった春という寓話をはさんで、DDTを始めとする農薬などの化学物質の危険性、生態系への影響を訴えた作品で、1962年に発行されました。恒屋棟介の文はその5年前に公表されたものです。
  テレビでおなじみのジャーナリスト池上彰氏は多くの本を書いていますが、その中に「世界を変えた10冊の本」という本があります。これは、現在に至るまで、この世界に大きな影響を及ぼしたと池上氏が考える本を10冊取り出して解説するというもので、この「沈黙の春」は環境問題への関心の高まりに大きな影響を与えたとして、その一冊に選ばれています。
  「沈黙の春」が、鳥が鳴かなくなった春というイメージを訴えていますが、興味深いことにこの恒屋棟介の文も野鳥を題材にしつつ環境問題を訴えています。この文の中には、物量主義的な社会、危険な農薬の使用、自然の破壊、薬剤への抵抗性などについて記されています。これは、レイチェル・カーソン氏の「沈黙の春」の論旨と類似しています。さらに、農業上の多肥による作物のひずみの問題を取り上げ、栄養週期栽培に特徴的なバランスのとれた発育、作物の健康の観点から意見を述べています。
  この文にパラチオン、ポリドールなどの農薬(毒薬)が、日本で多くの犠牲者を出していたことが記されています。また、世界の進んだ国によっては有機リン剤の禁止、人命尊重、天敵利用などが始まっていることが記されています。これは、もうこの時代には、農薬などの影響が世界的に認識され始めていたのだということがわかります。
  しかし、そのような状況の中で、問題点を指摘することは難しく、まして対策を実行に移すことは難しかったのだと思います。日本でも、レイチェル・カーソン氏のアメリカでも同様だったのでしょう。この文には、そのような状況に対するいらだちが強く感じられます。また、レイチェル・カーソン氏も様々な反対や誹謗中傷を受けながら、訴えていきました。

  栄養週期栽培は、環境保全型の栽培を表だって謳っているわけではありませんが、上記の文からその根底に環境保全的な考え方と調和的な性格をもっていることが感じられるのではないかと思います。

《参考文献》
  池上 彰. 2011. 世界を変えた10冊の本. 文藝春秋.
  レイチェル・カーソン. 2016. 「沈黙の春」. 新潮社.
                    (Carson, Rachel. 1962. Silent Spring.)
  恒屋棟介. 1957. 「論壇 愛鳥運動で-忘れられているもの」.昭和32年5月16日.朝日新聞朝刊第三面.