作物体内における窒素の実への転流について

2020年4月
理農学研究所 恒屋冬彦

■はじめに
  栄養週期栽培では、作物の発芽の時期や果樹の萌芽の時期に即効性の窒素が効果を現わさないようにします。これを無肥料出発と呼んでいます。その後、栄養生長期には窒素が効果を発揮し生長を促すよう適度な窒素の施肥を行います。しかし、交代期(栄養生長期と生殖生長期の移行の時期)から生殖生長期にかけて再び窒素を控えるなど、窒素を慎重に取扱います。この時期に新たな窒素を供給することは、活発な栄養生長を持続させ生殖生長に負の影響をもたらすと考えています。
  一般的な農法では元肥を中心にしていますが、生殖生長期にも追肥として窒素の施肥を行うのは普通です。すべての細胞に存在するタンパク質である酵素やDNAには窒素が含まれていますから、実ができる時に細胞数の増加を伴いますので(森山・福田1988)、窒素を供給する必要があるという見方は理解できるものです。
  しかし、このような穀類や果樹の実に必要となる窒素については、栄養週期栽培では栄養生長期に吸収されたものが交代期以降に葉や茎などの他の器官から実に移動してくるので、新たな窒素をことさら施さなくても良いと考えています。
  このような体内における窒素の転流がもし起こらなければ、栄養週期栽培では実における窒素が足りなくなり、十分な収穫が得られないことになりますので重要な点です。そこで、体内における窒素の転流について近年の研究ではどのように理解されているのかご紹介します。
 
■大井上康氏が窒素は移行すると考えた根拠
  その前に、栄養週期理論のとらえ方を再確認しておきます。「新栽培技術の理論体系」(大井上2011)の中の、窒素の効果(単独的効果)を論じた部分に次のような記述があります。
 
  生殖器官や体の維持にも窒素が必要であるが、多くの場合それは栄養生長の間に吸収されたもので不足はない。たとえ不足があっても土壌中に残存するものや天然に供給される窒素で充分である。生殖器官に集積される窒素は栄養生長に同化されたものの移行、または転位によるものであって、新たに吸収同化されるものではない。生殖生長期に必要な無機窒素は、ただ機能を維持するのに必要なだけで、その量は僅少である。もしこの量が多すぎれば成熟が害される。したがって穂肥(ほごえ)は、交代期における生殖器官の機能の維持に必要な最低量の無機窒素が不足するような窒素欠乏の防止という点でのみ意味がある。
 
  栄養生長期に吸収された窒素が、生殖生長期に実へ移行してくるのであるから、生殖生長期に新たに窒素を施すことはあまり必要ないと考えています。しかし、「新栽培技術の理論体系」の改訳版および原典にはその根拠となる研究成果や既存の研究論文の引用がありません。
  また、「ブドウ・巨峰事典」(恒屋1985)においては、既存の文献(寺見他1955)の中の以下の考察を引用していますが、これだけです。
 
  成熟期には果房のN含量は増加するが、このNは葉や古い組織のN減少からみて、そこから移行するものと考えられている。
 
  大井上康氏も恒屋棟介氏も様々な観察や実践、そして広い知識を踏まえて上記のような考えが間違っていないと考えているのだと思いますが、もう少し根拠となる情報がほしいところです。
 
■窒素の転流に関する近年の研究
  上記の話の根拠となるような研究報告を以下にご紹介します。
 
○穀類に関する研究報告
・イ ネ
  イネに関して、物質の移動と蓄積を研究した報告の中に、次のような記述が見られます(前1988)。
 
  窒素の場合は、炭素の場合と違って、登熟期間中に根より新たに吸収された窒素が収穫物に蓄積される割合は低いのが普通で、一般圃場で生育した水稲では10~30%である。したがって、収穫物へ蓄積する窒素の大部分は、シンクが盛んに発達する以前に植物により吸収利用されていた窒素で、それがシンクの発達に伴って他部位から転流してきたものである.圃場水稲では、穂の窒素の70~80%がもともと他器官の構成窒素であったものに由来する。
 
  ここに示されたシンクというのは、物質が集積するところを意味し、ここでは実(子実)をさしています。穂や実(シンク)への窒素の主な供給源(ソース)は他器官であることが述べられています。
  この他、イネに関しては、窒素の転流と利用の分子機構を解明しようという研究があります(早川・山谷2000)。この中でひとつの論文(Mae & Ohira 1981)を引用して同様の事が記されています。この研究は、イネの穂へ移行してくる窒素は他器官からのものであることを前提として研究を行っています。
  また、2018年の日本植物生理学会「みんなのひろば 質問コーナー」に出ていた「リン酸の徒長防止効果」に関する回答の中には、以下のように窒素は転用されるということが書かれています。2018年というつい最近の認識がこのようになっています。
 
  栄養成長から生殖成長への切り替えのタイミングは重要です。土壌中の窒素栄養が低下して生殖成長期に入ると、窒素は葉や茎から転用されるが、リンは外部からの供給を多く必要とするのではないかと考えられます。
 
  しかし、1982年出版の「比較栄養生理学」(田中編1982)という本では、イネについて「登熟期に吸収された窒素は穂に迅速にとり込まれていく」と記されていますので、上記の研究結果と違いが見られます。
  1982年頃と、それ以降で穂へもたらされる窒素に関する認識が変わってきたようにも見えます。栄養週期理論の理解に近づいてきたようです。
 
・コムギ
  コムギについては、「コムギの登熟期における窒素の再配分」という論文がありました(Simpson et. al. 1983)。外から窒素を与えない状態で生育したコムギについて、体内の窒素の移動を測定したものです。その結果、実の生長のための窒素は、体内の窒素の再分配によってもたらされたもので、葉からは40%、苞穎からは23%、茎から23%、根から16%であったと記されています。
 
○果樹に関する研究報告
・ブドウ
  すこし古い文献ですが、以下の記述がみられます。これは、前述した「ブドウ・巨峰事典」で引用された文献(寺見他1955)の共同研究者の一人である広保氏が書いたものなので、だいたい同じ内容が記されているものと思います。
 
  樹体のうちで窒素を最も多く含むのは葉で次は果房である。従って窒素は葉の最も繁茂する時期から果房の大きくなる時期、即ち5月から7月にかけて最も多く要する。8月には果実が着色し成熟期にはいるが、なお果房中の窒素は増加している。しかしこの増加は葉の窒素や古い組織の窒素がこの頃から減少する傾向にあることからみて、これら部分の窒素の転流が主な原因となっているものと考える。(広保1960)
 
  また、イタリアの食用ブドウについて、ブドウの樹および圃場の年間の窒素の消長について調べた最近の論文があります(Ferrara et.al. 2018)。その中で花の時期の後では葉の窒素が減少し、その窒素が果実に移動するということが述べられています。
 
・モ モ
  岡山県で、「清水白桃」というモモについて、収穫した果実の糖度と3項目(葉中の窒素N、葉中のカリウムK、果汁のN)との関連を調査した事例が報告されています(高野他2007)。
  この論文ではたくさんのケースで、満開後の日数と葉の中のN含量の関係を調べています。その結果を見ると、すべて満開後、葉の中のN濃度は減っています。この論文の考察では、いろいろなケースで違いがあると述べつつも、果実成熟期に葉から果実などへの窒素の移行が進むと推測しています。
 
・カ キ
  富有柿の窒素の吸収移行を追跡した研究報告があり、インターネット上で見ることができました。岐阜県農業技術センターの報告のようですが、執筆者、発行年などはわかりませんでした。試験では窒素の同位体(15N標識硫安※注)を用いて窒素の動きを追っています。結果として、果実に利用される窒素は5月と6月に施用されたものが多く、特に6月のものが圧倒的に多くなっています。7月以降の果実が大きくなる時期に窒素を施用しても果実には回っていかないようです。
 
※注:同位体について
  同一の原子番号を持つ元素でも中性子数が異なる場合、同位体とも呼ばれます。窒素(N)の安定同位体には、最も多いのが14Nで、非常に少ないのが15Nというものなります。この試験では15Nを取り込ませて、追跡しました。
 
・温州ミカン
  少し古い論文ですが、休眠期の温州ミカンへのリン酸の施肥の効果について検討した論文がありました(中島他1968)。この論文の主要なテーマはリン酸なのですが、果実採取時の葉の中の窒素量が果実の収量に応じて低くなっていたことが記され、葉の窒素が果実に移行したと考察していました。
 
○キュウリに関する研究報告
  キュウリでは、土壌病害虫や連作による土壌の塩類集積・塩類バランスの乱れなどのために収量低下が問題となっているとして、養液栽培の技術を検討した論文がありました(種村2015)。その中でキュウリの窒素の吸収・移行特性の解析が行われています。ここでも、同位元素の15Nを用いて窒素の動きを追跡しています。果実収穫開始期から7日間15Nを含んだ培養液で栽培しました。その結果、その期間に主枝の葉から多くのNが他の器官に移行しており、果実における窒素増加量の約70%に相当していたということでした。このように、果実へは容易に葉をはじめとする他の器官から窒素が移動することが示されています。
 
■おわりに
  ご紹介した論文を見ると、穀類でも果樹でも野菜でも、生殖生長期には窒素が葉、茎などの他の器官から、実に向かって集まってくることが示されています。イネの例ではほとんどが他の器官から移行していました。また、イネやカキの例にあったように生殖生長期には土壌から吸収された窒素はほとんど実に取り込まれていないという報告もありました。すべての作物にあてはまると考えることについては慎重であるべきですが、上記のような傾向を見ると、実(シンク)に利用される窒素は、すでに体内に存在している窒素が移動してくるという栄養週期理論の考え方、およびこのような窒素の動きを踏まえた栄養週期栽培の施用法は妥当なものだと言って良いと思います。
 
《引用文献》
・Ferrara, G., Malerba, A.D., Matarrese, A. M. S., Mondelli, D. and Andrea Mazzeo, A.. 2018. Nitrogen Distribution in Annual Growth of ‘Italia’ Table Grape Vines. Frontiers in Plant Science, 9:1-18.
・岐阜県農業技術センター報告.「富有柿に関する施肥時期別の窒素の吸収移行」http://www.g-agri.rd.pref.gifu.jp/seika/h15s/6.pdf
・早川俊彦・山谷知行. 2000. 「窒素の転流と利用の分子機構」. 化学と生物, 38(No.7):473-480.
・広保 正. 1960. 「ブドウ樹の栄養生理的研究(第2報) 生育時期を異にするブドウ樹の無機組成分について」. 園芸学会雑誌, 30(2):111-116.
・前 忠彦. 1988. 「植物における物質の移動と蓄積. ソースとシンク」. 化学と生物, 26(No.3):191-198.
・Mae T, Ohira K (1981) The remobilization of nitrogen related to leaf growth and senescence in rice plants (Oryza sativa L.). Plant and Cell Physiology 22, 1067–1074.
・森山修実・福田博之. 1988. 「「リンゴふじの果実肥大と細胞の大きさとの関係」. 東北農業研究, 41:237-238.
・中島芳和・篠沢忠孝・吉村不二男. 1968.「休眠期における施肥の相違が温州ミカンの生育と果実の収量ならびに品質に及ぼす影響」. 高知大学学術研究報告 自然科学, 16(4):33-40.
・大井上康. 2011.「新栽培技術の理論体系 再改訂版」. 日本巨峰会.
・Simpson, R.J., Lambers, H. and Dalling, M.J., 1983. Nitrogen redistribution during grain growth in wheat (Triticum aestivum L.). Plant Physiology, 71: 7-14.
・高野和夫・木村 剛・山本章吾・森次真一・岡本五郎. 2007. 「‘清水白桃’樹の窒素およびカリウム栄養状態と果実糖度との関係」. 園芸学研究, 6(4):515-519.
・田中 明編. 1982. 「作物比較栄養生理」. 学会出版センター.
・種村竜太. 2015. 「キュウリにおける窒素の吸収・移行特性に基づく環境に配慮した循環型養液栽培技術の確立」. 日本土壌肥料学雑誌, 86(5):375-376.
・寺見・広保・増田・矢島1955、1956(入手できず)
・恒屋棟介. 1985.「ブドウ・巨峰事典」. 博友社.
・https://jspp.org/hiroba/q_and_a/detail.html?id=2010&target=number&key=2010 (日本植物生理学会)