栄養週期栽培に対するかつての見方

  栄養週期栽培がかつては、異端視されたり無視されたりしてきたと、このコーナーのトップページで述べました。「巨峰物語」(巨峰開植五〇周年記念実行委員会 2007)という本の中には「弾圧」という表現も出てきます。また、昔の状況を知っている方からそのような話を聞くことがあります。
  上記のような情報を得る上で手掛かりとなる論考があります。1954年に当時の東京大学教授野口彌吉氏が栄養週期栽培に触れている論考(野口1954)です。それは、「農業及び園芸」誌上に掲載されたものです。農業界では著名な総合誌です。その論文は「稲作技術10年の回顧」というもので、様々な稲作の栽培技術について回顧し紹介するものでした。その中に、戦時下のころに出てきたものとして「大井上農法」という名称で栄養週期栽培が取り上げられています。その部分を以下に掲げます。
 
「なお、この時代に、民間の一部にいわゆる大井上農法がひろまったのである。大井上農法は、肥料の三要素が周期的にきくととなえるもので、最初は窒素が効果をあらわし、次に加里が、最後に燐酸が作用するといって、肥料もそれぞれ効果があると考えられる時期の直前に施せば、単独に働いて結局収量も増すというのである。加里は炭水化物の生成を促進する。その炭水化物が窒素と化合し、燐酸と化合して作物のからだをつくるという植物生理学で示される事実からみても、各肥料要素の単独の効果ということは考えられないのである。にもかかわらず、しかも、学問的にみて正しい説でないと多くの学者が反対するにもかかわらず、段々と実施するものがふえたことは何に原因したであろうか。それにはこういう見方も一つであろう。すなわち、それまでの農家の施肥の仕方は、多肥によって増収を得るといって、特に窒素を多く施していた。従って、窒素に比して燐酸、加里の施用には余り注意が払われていなかった。その結果として、燐酸、加里を与えることが量的に少なく、三要素の釣合がとれていなかったに違いない。栄養週期説は、まず窒素の節約と同時に、燐酸、加里を必ず施すことを教えたのである。たまたま戦時の肥料不足に適合する施肥となって、実行者もふえ、信奉者も増加するということになるのであるという。といっても勿論、裏面に政治的の強い力が働いたという噂を打消すものでない。」
 
  この野口氏の指摘を順を追って見ていきます。
  はじめの方で、「肥料もそれぞれ効果があると考えられる時期の直前に施せば、単独に働いて結局収量も増すというのである」と記しており、大まかには栄養週期の特徴が表現されていると思います。しかし、その前に「最初は窒素が効果をあらわし、次に加里が、最後に燐酸が作用するといって」と書かれていますが、このような順序は栄養週期栽培の説明には出てきません。栄養週期栽培では「栄養週期栽培の施肥の特徴」で記しましたようにリン酸は交代期に比重を置き、カリは生殖生長期に比重を置きますので、このような順序を記したものはありません。栄養週期栽培の文献に眼を通した上で記したものではないようです。
  また、次に「各肥料要素の単独の効果ということは考えられない」として、単独的効果という考えを否定していますが、大井上康氏も単独の効果はないという立場です(大井上康1947、2011)。その上で、「的」をつけて、栄養素の単独の効果はないけれども個々の栄養素が相対的に強く作用することがあるとして「単独的効果」という言葉を使っているのです。これはちょっとわかりにくく混同しやすい表現ですが、文献を見ていればわかることです。単独的効果は、「主要な効果」とか「特有な効果」のような意味です。
  そのあとに、いくつか興味深い表現がでてきます。
  「学問的にみて正しい説でないと多くの学者が反対するにもかかわらず」という表現を見ると、当時、栄養週期理論に反対する学者が数多くいたことがわかります。逆に言えば、ある程度、認知されていたということでもあります。ただ、「学問的に正しい説ではない」と言う人たちのそう思う理由はここでは記されていません。
  次に「段々と実施するものがふえたことは何に原因したであろうか。」と記していますが、この表現から当時、実施する人たちが増えていったことがわかります。実施するものが増えた原因として、「栄養週期説は、まず窒素の節約と同時に、燐酸、加里を必ず施すことを教えたのである。」と記しています。その当時、窒素が優先的に利用されており、リン酸やカリに対する配慮が足りなかったことがわかります。
  「たまたま戦時の肥料不足に適合する施肥となって、実行者もふえ、信奉者も増加するということになるのである」という表現からは、栄養週期が肥料不足に適合していたという良い面を認めつつも「たまたま」という言葉をつけて、技術的な裏付けがあったものではないということを言外に示しています。
  また、「といっても勿論、裏面に政治的の強い力が働いたという噂を打消すものでない。」と記していることについては、「栄養週期理論」を普及する活動に対してそのような印象を持ったのかもしれません。ただ、普及を行ってきた人たちは民間の有志です。ここに記されているような政治力を発揮できたのか疑問です。当時東京大学の教授という権威者と思われる方がそのような見解を述べていることは興味深いことです。
  上述した内容を概観すると、栄養週期理論に関する間違えがみられ、あまり十分な認識を持たないまま評価し、批判を行っているように思えます。また、批判の前提が間違っているので、十分な根拠を示しているとはいません。十分な検証がなされないまま、このような著名な雑誌に批判的表現が載せられていることは不思議なことです。ただ、当時、農学の世界に身を置く方々に同じような感覚があり、共感する人たちを想定して書いたのだと考えればわかるように思えます。そう考えると、「異端視されてきた」「無視されてきた」という言葉が理解できるように思います。
 
《参考文献》
巨峰開植五〇周年記念実行委員会. 2007. 「巨峰物語」.
野口彌吉. 1954. 「稲作技術10年の回顧」. 農業及園芸, 29(1): 81-84.
大井上 康. 1947. 「作物栽培技術の原理 : 少肥多収の理論と実際(栄週叢書)」. 全国食糧増産同志会
大井上 康. 2011.「新栽培技術の理論体系 再改訂版」. 日本巨峰会.
(原著:大井上康. 1945. 新栽培技術の理論体系)