「作物の健康」
という視点

理農学研究所
2020年1月

■はじめに
  「作物の健康」という言葉をインターネットで検索してみると、作物自体の健康よりは「人間の健康」の話が多く、作物それ自身の健康を取り扱っているサイトはあまりありません。作物を食品として食べる人間の問題になることが多いようです。そのような状況ではありますが、「作物の健康」と銘打った本が2冊、現在日本で販売されています。ひとつは、病害虫の研究者であるフランスのシャブスー氏が書いた「作物の健康」(シャブスー2003)という本です。もうひとつは、兵庫県立農業試験場で長く研究活動に従事していた渡辺和彦氏が記した「ミネラルの働きと作物の健康」(渡辺2009)という本です。
  これらの「作物の健康」と銘打った本を参考としながら、栄養週期栽培の「作物の健康」に対するとらえ方や、健康であるための対策などをご紹介したいと思います。
 
■「作物の健康」について記した本
  シャブスー氏が書いた「作物の健康」には、合成農薬と化学肥料(特に窒素)の大量投与が作物の健康に影響を及ぼし病虫害にかかり易くなることが書かれています。それは、農薬や窒素が作物体内のタンパク質合成を阻害するため、アミノ酸などの可溶性の窒素化合物が体内に溜まり、害虫、病原菌などの寄生者にとって最適の養分となるためだとしています。一方、シャブスー氏は、作物の生育のバランスをとる上で、カリ、カルシウム、各種の微量栄養素などの栄養素が重要であることを述べています。
  また、「ミネラルの働きと作物の健康」という本は、ミネラルつまり様々な栄養素が作物の健康に関係しているという立場から書かれています。ミネラルの様々な特性とともに、ミネラル(無期肥料)による病虫害防除効果についても、数多くの新しい文献を引用して記しています。
 
■栄養週期栽培で提唱されてきたこと
☆窒素過多の問題
  シャブスー氏が問題として提起しているチッ素肥料の多投の問題点については、栄養週期栽培が特に強調してきた点です。
  栄養週期栽培には「無肥料出発」という考え方があります。作物である植物の種子は、植物体になる胚とそれに栄養を与える胚乳から構成されています。このように、自ら栄養を供給する仕組みを持っているので、あまり、余計な肥料を与え、過保護にする必要はないという考えです。
  また、施肥する肥料の種類や量を発育の段階に応じて変えていきますが、窒素については栄養生長期には適正な量を施すものの、その後、交代期から生殖生長期にかけて窒素の肥効を制限するのが栄養週期栽培の定石です。このため窒素の施肥量は少なくなります。さらに、雨の多い時は健康な発育と多収を保つために特に窒素を減らします。
  栄養週期栽培で特徴的なのは、「肥しの喰いぎれ」(大井上2007)を起こさせることが必要と考えていることです。生殖生長期に窒素が効くと品質が落ちると考えています。「作物栽培の原理」(大井上1947)という本には、以下のように記されています。
 
   従来の方法は作物の育ちの初めから終わりまで肥料の効きを切らさない様にできるか、終わり迄作物を保ち得るかといふことに全力を注いで来た。しかし、著者は、どうやって肥料の効きを切れる様にできるかということを考えて来た。
 
  これは、上述した発育段階に応じた施肥の考え方に対応しています。生殖生長期に窒素が効くと、収量は減り品質も劣ると考えています。これは、腐植(注:土壌中で動植物が分解してできる黒褐色の有機物質)に富むふかふかな土壌でも同様です。このような土壌に対する認識でも栄養週期栽培ならではの特徴的な視点が見られると思います( 「栄養週期栽培と土壌」参照)。
  栄養週期栽培では肥沃な農地は栽培に不向きであると考えるのが普通です。
  たとえば、慣行法で栽培されていた農地を引き継いだ方から、次のような話がありました。「引き継いだ農地で、コメとタマネギの栽培を始めて3年目だが、慣行法の圃場から栄養素の低下が進むまで2年の時間を要した。3年目になってようやく栄養週期栽培ができる農地になってきた」。これは、慣行農法を行ってきた農地には窒素が多量に存在しているため、生殖生長期になっても肥効を抑えることが難しかったのだけれども、ようやくそれが改善されてきたということを意味します。
  また、栄養週期栽培をしている方が次のような相談を受けたという話もあります。「梨農家から熟期が遅れ困っていると相談され、化成肥料の施用を止める様に言った。3年後、普通になったと連絡がありました。これは窒素過剰によるもので、無窒素にして正常に戻るまでに3年を要した。」
  このような捉えかたは栄養週期栽培では普通のことで、多窒素栽培とは異なる方法を採用していることがわかると思います。
 
☆農薬の問題
  シャブスー氏は、窒素と共に合成農薬の大量投与が作物の健康に影響を及ぼし病虫害にかかり易くしていると本の中で述べています。この本の副題は「農薬の害から植物を守る」となっていますから、これがメインテーマです。シャブスー氏は農薬そのものを否定しているわけではなく、農業に対する農薬のそれまでの貢献も評価しています。多量の農薬使用を問題にしているのです。
  栄養週期栽培でも農薬を使用します。しかし、多量の農薬使用に対して批判的な立場をとってきました。それは、「栄養週期栽培と「沈黙の春」」で示しましたように、1957年の朝日新聞に掲載された恒屋棟介氏の論考の中に明確に表れています。世界を動かしたとされるレイチェル・カーソン氏の「沈黙の春」の出版よりも5年前に、多農薬の問題を指摘しています。そして、その中に次のような趣旨のことが記されています。
 
 害虫さらに病菌の発生は作物の発育のヒズミ(歪曲)にもとづくことが多い。現在指導されている生産方法は、多肥、多薬、多労に依存している。災害にたたかれるように作物を育てておいて、病害だ、虫害だ、災害だとさわいでいるのが現状である。虫害の発生にしても多肥による作物の発育のヒズミなのである。(要約、一部改変)(恒屋1957)
 
  多肥が作物の発育を歪め、その結果として多農薬になっていくことを、60年以上前に指摘しています。ずっと前から窒素と農薬の問題点を把握し、栄養週期栽培という栽培技術によってそれに対する方策を立ててきたとも言えると思います。
 
☆微量栄養素と作物の健康
  「ミネラルの働きと作物の健康」(渡辺2009)という本には、近年の数多くの文献が引用されて、かつミネラルの様々な病虫害防除機能が記されています。この本は、栄養週期栽培が興味を持っていたことについて、新しい情報により補ってくれている本といっても良いかもしれません。
  多量栄養素や微量栄養素つまりミネラルの効果について、栄養週期栽培では古くから注目してきました。
  恒屋棟介氏が記した「微量栄養素と施肥設計」(恒屋2017 初版1955年)には、このような栄養素の特性が整理されています。「微量栄養素と施肥設計」の初版が出版されたのは1955年ですが、適宜改訂時に修正していることもあり、機能や特性に関する記述は、基本的な点では現在の認識と大きく違わないといって良いと思います。この本には「健康」という言葉がたくさんでてきており、「健康」や「不健康」を含めて、40か所近く出てきます。その多くが、作物自身の健康のことを指しており、筆者が多量栄養素や微量栄養素を、作物の健康の上で重要だと考えていることがわかります。また、「微量栄養素と施肥設計」では、様々な栄養素の病虫害に対する予防効果にも着目し、栄養素の防除的な役割も重視してきました。さらに、この本では、栄養素の特徴や予防効果を述べるだけでなく、様々な作物について標準的な肥培管理の手順を記しています。多量栄養素、微量栄養素を含めた栄養週期栽培に基づく肥培管理のマニュアルのようにもなっています。大井上康氏も恒屋棟介氏も圃場での栽培から出発し、作物の全体像に目を向け、それを踏まえて理論化していきます。理論と実践の統一ということを意識してきました。
 
■おわりに
  上記のとおり、シャブスー氏の本に記されている「作物の健康」と「窒素や農薬の過多」の関係に関する視点、および渡辺氏の本に記されている「ミネラルが作物の健康上効果を発揮する」という視点は、栄養週期栽培と共通部分が多いことがわかると思います。シャブスー氏の本は1985年、渡辺氏の本は2009年と比較的新しい時期に発行されたものですから、新しい知見によって栄養週期栽培の補完がなされているとみることもできます。
  窒素過多の問題も提起している栄養週期理論の本、「新栽培技術の理論体系」が出たのは1945年で70年以上前、微量栄養素などのミネラルの重要性を提起した本、「微量栄養素と施肥設計」が出たのは1955年で60年以上前です。それらは古い本ですが、単に「窒素や農薬の過多」や「ミネラルに関する重要性」を指摘しているだけでなく、実践的で応用可能な栽培管理、肥培管理に踏み込んでいます。
  栄養週期栽培は、このように早くから「作物の健康」に関わりのある事柄を認識し、独自の取り組みをしてきたことがわかるのではないかと思います。
 
《参考文献》
・フランシス・シャブスー(中村英司訳). 2003. 「作物の健康-農薬の害から植物をまもる」. 八坂書房.
  (原著は、1985年フランス語で出版)
・大井上 康. 1947. 「作物栽培技術の原理 : 少肥多収の理論と実際(栄週叢書)」. 全国食糧増産同志会
・大井上 康. 2007. 「大井上康講演録 栄養週期説に基づく作物増収の本筋について」. 日本巨峰会.
  (講演は1950年2月15日埼玉県浦和市(当時)で開催)
・大井上 康. 2011.「新栽培技術の理論体系 再改訂版」. 日本巨峰会.
  (原著:大井上康. 1945. 新栽培技術の理論体系)
・恒屋棟介. 1957. 「論壇 愛鳥運動で-忘れられているもの」.昭和32年5月16日.朝日新聞朝刊第三面.
・恒屋棟介. 2017.「微量栄養素と施肥設計」(新装版) .日本巨峰会.
  (初版:1955年) 
・渡辺和彦. 2009. 「ミネラルの働きと作物の健康」. 農村漁村文化協会.